加納悠音

加納悠音

加納悠音

相談出来ること
  • 自分のレベルと環境が合わない

プロフィール


生日 – 2002年08月21日生(22歳)
出身 – 岐阜県美濃加茂市 
趣味 – カフェ☕️、サウナ🧖
筋トレ🏋🏻、旅🧳、お酒🥃


経歴・現状


・岐阜県美濃加茂市で生まれる
・岐阜県にある県立岐阜商業高校を卒業
・東京都の駒澤大学に入学
・20歳で光通信事業で起業、大学休学
・22歳 新規事業準備

キャリアBARプロジェクトを全国に展開する(準備段階)


幼少期



2002年8月21日。岐阜県美濃加茂市で、
3200gという大きな産声をあげてこの世に生まれました。
周りからは「大きいね!」とよく言われたそうです。笑

けれど、人生の始まりはそう甘くはありませんでした。
物心つく前に両親は離婚し、母との二人暮らしが始まります。

もちろん裕福ではなく、食卓に並ぶのは基本もやし、
たまに母特製のキャベツにおかかをまぶした
「なんちゃってお好み焼き」この味は今でも忘れられません。

それでも、母はいつも笑顔で、温かい手で僕を育ててくれました。
本当に母の強さには敵いません。
そう思えるくらい、深い愛で育てられました。


そんな僕の人生が大きく動いたのは、小学3年生のとき。
野球好きだった祖父の影響で、初めてグローブをはめました。

人見知りで臆病だった僕が、グラウンドの上では堂々とプレーできた。
あの時、自分の中に初めて「自信」が芽生えました。


青年期


それからは、野球一筋。
ひたすら白球を追いかける日々。

勝って泣き、負けて泣き、仲間と笑って、悔しさと喜びを何度も味わった。
野球はいつも、僕を成長させてくれました。


そして、高校卒業後の進路選択。

「母に恩返しがしたい」
「自分の家族は、もう苦労させたくない」


その気持ちが強くなり、「経営者になる」と決意しました。


ただ、その夢に一番反対したのは、母でした。

「安定した仕事に就いてほしい」
「世の中そんなに甘くないよ」

それでも僕は、「自分の道を信じて挑戦したい」と覚悟を伝え、上京を決めました。

反対を押し切って家を出るとき、母は何も言わずに背中を押してくれました。

その沈黙の重みこそ、僕への期待と不安だったのだと、今ではわかります。


そして上京から2年。20歳で、ついに社長になりました。
夢だったはずの世界。だけど、現実は甘くなかった。

毎日が壁だらけ。

結果が出ない、信頼されない、口座のお金がほぼゼロ。

「もう無理かもしれない」と、何度も思いました。

そんなある日。実家に帰った僕に、母が小さな封筒を差し出しました。

中には、少しずつ貯めていてくれた定期預金の通帳。


そして、手紙が一枚。

「あなたが自分で選んだ道。

どこまで行っても応援してる。

でも、本当に辛くなったときは、これを使ってまた立ち上がって。

大丈夫、あなたはちゃんと前に進める子だから。」


もう、言葉になりませんでした。
その場で声を出して泣きました。


「ここで諦めたら、自分、母、家族に嘘をつくことになる」

そう思って、腹を括りました。

そこからは、必死でした。

情けない自分を認め、向き合い、
必死に一つひとつ乗り越えていきました。

あの時、母が信じてくれた自分を、裏切らないために。



現在


そして今。

本当に多くの人たちに支えられ、助けられながら、
会社経営も少しずつ軌道に乗ってきました。

毎日が挑戦の連続ではあるけれど、こうして前に進めているのは、
過去に支えてくれた人たちがいたからだと、心から感謝しています。

そんな今、強く思うのは、

「今度は自分が、誰かの力になりたい」ということです。
そこで立ち上げたのが、「キャリアBAR」というプロジェクト。

この場所が、
「小さなきっかけ」になることを願っています。


過去の僕のように、悩みながらも前に進もうとしている人たちが、

少しでも前向きになれるような場にしたい。

1人でも多くの人にこの想いを届けたい。



そして、次はあなたが誰かを支える人になる、
そんな循環を、この場所から生み出せたらと思っています。