
プロフィール
名前 – 長嶋優門(ながしまゆうと)あだなはゆうもん!
生日 – 2001年7月18日生(24歳)
出身 -千葉県成田市あたり
趣味 – 人生相談にのること、カラオケ、アニメ、彼女と料理、映画
経歴・現在の活動
・千葉県成田市付近に生まれる
・私立の成田附属中学校に受験で入学
・早稲田大学教育学部英語英文学科に入学
・父親の会社に新卒で入社
・新卒一年目で退職し、独立
・個人事業主として人の人生設計やマインドセットを支援する
僕のこれまでをまとめるなら、
自分軸を見失って進み続けたことと、
人の幸せを考え続けてきた人生です。
少年期
教育系一家の3男として生まれる。一番優しい顔をしているからと「優門」という名前を付けられた。
生まれて物心ついたときに、一番記憶としてあるのは父の怒鳴り声。
今はとても優しい父ですが、当時は僕が生まれると同時に起業を決意して軌道に乗せるために奔走していたということを最近聞いた。
父親の部下を怒る電話を聞く中でマネジメントや人の教育をする中で、どんなことを意識して言葉がけをすべきなのか父を反面教師に考えていた。
怒鳴り声が聞こえる家庭で母親も疲れた顔をして帰ってくるのを見ていた。
これだけならいいが、、、
母が僕に「ダイエットしようかな~」「お庭を可愛くしたいんだよね」「おいしいものつくりたいね!」とやりたいことをいったあとに、
すぐ「でもいいや忙しいし」「私なんか」「やっぱりいいや大変そうだし」こんな言葉の繰り返し。
でも、明らかに何かをあきらめた顔をする母を見てどうして何かを諦めるんだろう、
どうして楽しく自分のやりたいことを素直にやらずにいるんだろうと疑問を持つ。
人に降りかかっている笑顔になれない現実の原因がわからなくてあれこれと考え始める。
保育園のころからトイレで人はなぜ生きるのかなんてことを考えるくらいには変態でした笑。

青年期
私立中学にはいってそれからは、学級委員長になった。
校則を正解だと信じて友達を注意した。
いつしか気持ちよくなって正しさを振りかざす自分に酔っていた。
自分は悪者にはならない謎の安心感があったのかも。
ある日、不良生徒を注意して取っ組み合いになった。
その時、先生にこう言われた。
「二人ともうるさい!!」
僕は、正義を執行していると思っていた。
自分も悪者なのかと思ったとき何が正義かわからなくなってしまった。
今は、もっと複雑に正義とは成立するとわかるが、当時は答えが一つだと思っていたんだ。
陸上部の部長にもなった。
同期の男子は僕一人で女子は僕の言うことを聞かなかった。
本気で練習をやるやつはいなくて、先生がいなければ、「メニューを減らそう」の一点張りだった。
優しくそれに呼応すると「優しいね!」と言われる始末だった。
僕は一人でメニュー通りの練習をこなした。
それでも委員長時代の独裁ぶりを3年生になっても女子に言いふらされて、嫌われた。
みんなから嫌われて正解がわからなくなった僕は、迎合することでまた悪者にならない道を選択した。
自分で責任を持つことを恐れたんだ。
それから、喧嘩もする人の悪口をいう僕は、聖人君主を目指し始めた。
ここからだと思う、人の声に耳を傾けすぎて自分の声がどんどん聞こえなくなっていったのは。
高校は、もう陸上はやめようとサッカー部に入りたいと父に伝えた。
そしたら、
「迷ったら厳しい道をいけ。弱きから強きには戻れない」
結局納得してしまって僕は陸上の道を進んだ。全国に進む強豪校。
僕の口癖は、
「俺陸上好きじゃないんだよね。親がやれっていうからさ」
これで強くなれるわけもなく、なあなあに楽しく恋愛をして消化した日々。
でも、部活で友達は増えて結構楽しかった。
ただただ進んでいく日々だった。
引退して受験になったとき、一橋大学を目指していたがいける気がしなくて父親に泣きついた。
一橋を目指すのも小学6年で父に言い渡された家業の塾を継ぐために学歴がある大学でビジネスを学ぶためだった。
父は言った。
「何言ってる。大学で経営なんて学べないから教育を学べるところにいけ」
勝手に考えて一橋を目指していた僕は面食らった。
なんだよ、じゃあ、早稲田教育にしようと進路変更してそのまま合格に至った。
わかる通り、これまで人の意見に流され続けて、人の評価におびえた。
自分を守るために、虚勢と言い訳を続けた。誰かに責任を負ってほしかった。
ただ褒められて好かれたかった。
でも、大学生になって明確な評価基準はなかった。勉強をしてもだれも褒めてはくれないらしい。
就活も自分の生きたい道を選択するのが正解のようだ。
また、父親がささやいた。
「将来のためにも留学にいっておいたほうがいいぞ」
正解がわからなくなっていた僕はコロナで暇なのもあって勉強を始めた。
でも一ミリもできるようにならないし、やる気にもならない。
できるようにならない、難しいことばかりやっていたのが一因だろう。
それでも、だらだらとやり続けた。結局、留学に必要な基準は満たせなかった。
そこで、改めて僕は本当に留学に行きたいのかと考えた。人生の1年間を使って異国の地に行って何をするのかと。
まったくワクワクしないし、何も思いつかなかった。
「あぶないあぶない、また誰かの人生をいきるところだった」
ここで、やっと限りある命を何に使うのか考え始めた。
保育園のころから問い始めていて友達には言えなかった問が立ち現れる。
「なんのために人は生きるのか」
答えはすごくシンプルだ。
「幸せになるため」
では、幸せになるとは、どうすればいいのか。
それはもちろんひとそれぞれだ。
のどから手が出るほど留学したい人もいる。
でも、中学生で語学研修に行って何も成長しなかった僕は自分がそんな欲求持っていないって知っている。
本当は何をしたいんだろうか??
好きな食べ物を聞かれても迷ってしまう。
好きなゲームも時間を無駄にしてしまうし、勉強の邪魔だからって携帯ごとたたき割った過去がある。
旅行もまあ好きだけどそんなに。
趣味という趣味もなく、ユーチューブを見あさっているだけの日々だった。
何を幸せと呼び、何が大事なんだろうか?
あした死ぬとしたら、1年後死ぬとしたらどんな日々を送りたいだろうか?
自分の正解を探す闘争
そこで、僕はこのままでは何の答えも出せないと思い、このまま死ぬのだけは嫌だと思って行動に踏み切った。
起業の授業に出て、学生団体に出会った。
そこからはいろんなことがあった。
イベントを主催して、集客のために大学でナンパして
アパレル立ち上げたり、ビジコン優勝したり。
団体の代表にもなって。
それでも僕の心は満たされたわけじゃなかった。
一瞬一瞬に確かに輝きはあるんだけど、心に輝きが残っていない虚しさはぬぐえなかった。
僕と同じように何も考えずに熱中できるようになりたいと願う人がいた。
みんな大学生はやりたいことがみつかっていないようだった。
本当のやりたいことって何だろう???
やりたいことって仕事の中に見つかるんだろうか???
意義のあることって何だろうか?
考えても考えてもわからない問に向き合い続けていても前には進めず、父親の会社に新卒で入社。
それでも、諦められないこだわりは人の夢をかなえて直接人のモヤモヤを晴らす仕事がしたいということだった。
その思いを胸に独立してフリーで活動を始める。

現在
人生の意義という問いの話をし過ぎると自己紹介ではないので割愛するけど、
僕には本当に特段やりたいことがなかった。
その中で唯一続けられたことは人生相談だった。
大学2年生から初めて今までボランティアが95%くらいだけど1200人ほどの相談に乗ってきた。
子供のころからずっと気になっていた人のモヤモヤや笑顔にならない原因をずっと探している。
そして、それは一定の基礎の上にそれぞれの現実や心の課題で分岐する。だからこそ、個別最適で支援したいと思ってしまう。
社会人のやりたいことを実現したり、副業や起業、独立など手段はなんだっていいが、
その人が本当はかなえたいと思っている目的や夢をかなえる手段を言語化して実現化するお手伝いをしている。
ほかにも仕事やあるべき姿にとらわれて苦しんでいる人を解放して自分のありのままを受けいれるマインドセットの支援もやっている。
僕自身が悩み続けたことだからこそ、たくさんの人にそのモヤモヤを晴らすきっかけを届けたくてキャリアBARに参画することを決めました!
サラリーマンをやる中で会社の外での未来を話す人が誰もいなかったし、考える暇もなかった。
大学生の時もそう。
だからこそ、言葉にできない不安感やモヤモヤを抱えている人に少しでも出会って、
希望を照らしていけるようにこれからもキャリアBARを通じてきっかけを届け続けられたらと思っている。
