「本屋じゃない」と気づいたAmazonと、理念を忘れた会社たち
FROM 庄田&AI
さっきAIと面白いディスカッションをしました。
シンプルにいうと、なんで理念っているの?
ビジネスにどう関係するの?
MISSION、ビジョン、Valueがブームですが
正直、本質を分かっていなければ
ただのポエムです。
キャリアバー読者の方であれば、
今後経営陣に参加したい人もいるはず。
この話を理解すると、ステージが変わるのではないでしょうか?
とりあえず、AIと濃いディスカッションをしたので
これを元にAI君がブログでまとめてくれました。
ぜひ、参考にして下さい^^
「Amazonって昔は本屋だったよね?」これをAIに投げかけた。
これ学歴高い子やら、世間で優秀と言われるサラリーマンの教え子にも
聞いたけど、案外知られていなかった。
もう少し、「本屋だったの」でピンと来て欲しかったけど、
AIとかの方が盛り上がったので、熱いディスカッションをしてみた。
もうね、賢い人間じゃー物足りなくなっている。頑張ろうぜ!人間!!
Amazonは1995年にオンライン書店としてスタートした。
けれど「自分たちは本屋だ」と思っていたら、
ただの世界一大きな書店で終わっていただろう。
実際、同じ時代に存在した多くの企業は「カテゴリ」に自分を縛りつけて消えていった。
Amazonが違ったのは、自分たちを「本屋」ではなく
「顧客中心の流通インフラ」と定義したことだ。
理念で自分を定義した会社は生き残る。カテゴリで自分を定義した会社は消える。
先日、教え子であるいづみちゃんが、モノポリーを2つ忘れた。
淡路島合宿で200人モノポリーという大規模なイベントで
必要だったんだけど、2つ忘れたのは非常にダメージがでかい。
すでに、淡路島に向かっていた。焦っていた彼女は、アマゾンで2つ購入し
淡路島のローソンに配達して、無事解決したわけだけど、
これがアマゾンのValueであり、この瞬間全員が「アマゾンすげー」と
感動した。これが本屋というだけのカテゴリーで経営陣がガチガチだったら
未来はこうはなっていなかっただろう。
これは歴史が証明している。
このたったブログで書いていることを気づかずに、潰れた会社もいるので
このブログは人によっては何億の価値になるか?分からない。
意思決定の世界は、インプットで決まるので、、、
あと、インプットをやりすぎるとバカになる。
学校を想像して欲しい。クラス全員の頭脳をあなたはインプットしたいか?
賢い奴も賢くない奴のインプットをもしあなたが入れたら
こういうこともキャリアの人は知っておかないと、
努力すればするほど馬鹿になる。そういうリスクがあることも
知っておこう!
カテゴリに縛られて消えた会社たち
Kodak – フィルム会社の末路
Kodakは「思い出を残す会社」ではなく「フィルムの会社」だと定義してしまった。
デジタルカメラを自ら発明していながら、「フィルムが売れなくなる」と恐れて握りつぶした。
その結果、スマホ時代に完全に取り残される。
顧客が欲しかったのは「フィルム」ではない。「思い出を残すこと」だったのに。
Blockbuster – Netflixに飲み込まれた巨人
全盛期のBlockbusterは全世界9,000店舗を誇った。
しかし彼らは「レンタルビデオ屋」だと定義してしまった。
顧客の本質的な欲求は「映画を家で気軽に楽しみたい」だったのに。
Netflixがサブスク型の配信にシフトすると、
Blockbusterはそれを無視。結果、歴史から姿を消した。
Nokia – 世界トップから転落
2000年代前半、Nokiaは携帯電話シェア世界トップ。
だが「携帯電話メーカー」と自分を定義し続けた。
顧客の欲求は「電話機」ではなく「快適なコミュニケーション体験」だったのに、
スマホOS・エコシステムに対応できず、iPhoneとAndroidに駆逐された。
Tully’s – スターバックスに敗れたカフェチェーン
カフェ業界でも象徴的な例がある。
Tully’sはアメリカでスタバのライバルとして成長したが、
本国では破綻。対してスターバックスは世界的ブランドとして拡大し続けた。
カフェ業界でも象徴的な例がある。
Tully’sはアメリカでスタバのライバルとして成長したが、
本国では破綻。対してスターバックスは世界的ブランドとして拡大し続けた。
なぜか?
スタバは「コーヒーを売る会社」ではなく
「人々にとっての“第三の場所”(家庭でも職場でもない居場所)を提供する会社」と理念で自分を定義した。
Tully’sはあくまで「美味しいコーヒーを出す店」止まりだった。
カテゴリに縛られたTully’sはアメリカで消えたが、日本では伊藤園のブランド戦略によって残っている。
これは理念勝負ではなく、単なる「輸入ブランド」としての延命に過ぎない。
理念で定義したから生き残った会社たち
Amazon
理念:「地球上でもっとも顧客中心の企業」
→ 本屋から始まり、家電・食品・アパレルへ。さらにはクラウド(AWS)、物流、AIへと無限拡張。
Apple
理念:「人とテクノロジーの交差点で最高の体験をつくる」
→ もし「パソコンメーカー」と思っていたら、今のAppleはなかった。
iPod → iPhone → iPad → Apple Watch と進化できたのは「体験提供」が軸だったから。
Disney
理念:「世界中の人々を幸せにする」
→ アニメ映画の会社ではなく「幸せを届ける会社」だと定義したからこそ、映画 → テーマパーク → メディア → 配信(Disney+)まで展開できた。
Starbucks
理念:「人々の心を豊かにし、コミュニティに貢献する“第三の場所”を提供する」
→ コーヒーを売っているように見えて、実際は「人がつながる場」を提供していた。だからカフェ業界を制した。
日本人が理念を軽視する理由
日本人は「抽象」に弱い。
- 教育は「答えのある問題」ばかり
- 職人気質で具体に強い
- 評価も「売上・利益」という短期数字でされる
だから「理念を語る」と「ポエム」と笑われる。
でも実際には理念こそが100億、1000億の差を生む“見えない資産”だ。
売上は過去の結果。理念は未来を引き寄せる磁石。
僕自身の体験
よく「庄田さんって何の仕事してるんですか?」と聞かれる。
本音を言えば「人々の運命を変える仕事をしています」と答えたい。これが理念だからだ。
でも日本ではめんどくさいので「コンサルです」と適当に言うこともある。
しかし、それでは自分の本質が伝わらない。
ベストは「二段ロケット回答」だ。
- 抽象で理念を伝える:「人の人生を変えるキャリアづくりをしています」
- 具体で安心させる:「分かりやすく言うとコンサルに近いですね」
こうすれば理念も伝わるし、相手も納得する。
結論:理念はポエムではなく経営資産
カテゴリ定義の会社は寿命10年。理念定義の会社は100年残る。
Kodak、Blockbuster、Nokia、Tully’sはカテゴリに縛られて消えた。
Amazon、Apple、Disney、Starbucksは理念で自分を定義したから生き残った。
理念を軽視する人は「今」をしか見ていない。
理念を掲げる人は「未来」をつくっている。
あなたは自分の事業を「カテゴリ」で語るだろうか?
それとも「理念」で定義できるだろうか?
この問いこそが、10年後に残るか消えるかを決める分岐点だ。