Re:Home合宿 in 香川レポート


香川県の山奥で、8月21日〜22日「Re:Home」の合宿プログラムを開催しました。
自然に囲まれた合宿場に集まったのは、「就職」を控えた大学生や、すでに就職している社会人メンバー。

日常の忙しさの中で立ち止まり、「本当の願い」を思い出したいと感じていた仲間たちです。

そこで、2日間にわたり、参加者のみなさんと一緒に「願いを思い出し、日常に還す」時間を過ごしました。



Day1「ねがいごとを思い出す」


初日は13時に集合。
まずはウェルカムセッションでお互いを紹介し合います。

緊張の中にも安心感があり、優しい空気が流れ始めました。


まず最初は「キャンドルづくり」から!
まだお互いの名前もぎこちなく呼び合う空気の中で、合図とともに、静かに作業がスタート。

ある参加者はじっくりと色や形にこだわり、世界にひとつだけのキャンドルを作り上げる。
一方で、あっという間に完成させてしまう人もいて、その違いに早くも個性がにじみ出ていきます。

そしてそのキャンドルは、ただの工作ではありません。
夜のナイトセッションで、自分の内面を映し出す灯火として映し出されるのです。




さて、最初の対話ワーク、テーマは「行動の根源にあるものは?」
それぞれが心の中を丁寧に言葉にしていくと、思いもよらない気づきが生まれました。


ある参加者は、これまで「陰キャ・陽キャ」という高校時代のレッテルに縛られていたことを自覚。
「幻想の見過ぎだったのでは」と鋭い指摘が飛び交います。

“陽キャも特別な存在ではなく、選択と行動を重ねている人間にすぎない”。
そんな理解が生まれたことは、大きな一歩だったようです。

気づけば4時間。あっという間に時間が過ぎていました!





濃密なワークを終えたあとは、みんなでテーブルを囲んで夕食の時間。

同じ釜のご飯を分け合いながら、少しずつ会話もほぐれ、笑い声があちらこちらで生まれていきます。
普段はなかなか出てこない一面や、何気ない日常の話題で盛り上がりました。


そして心もお腹も満たされたところで、次に待っていたのは夜の散策。
場所を提供くださったご担当者の案内で、私たちはまるで迷路のように入り組んだ森の中へ。

ひんやりとした風、足元に広がる落ち葉の感触、そして木々の合間から少しずつ顔を出す星たち。
歩き進むとに日常の緊張がほどけ、言葉にならない、不思議な “楽しさ” が巡り出します。

学びと遊び、思考と感覚。その両方を味わい尽くすのが、この合宿ならではかもしれません。


静かに空を見上げるその瞬間、満点の星空。
昼間まで使っていた「頭」がすっと休まり、ただ「心」で感じている自分に気づくメンバーもちらほら。

そんな特別な夜に行ったのが、ナイトリフレクション。
みんなでつくったキャンドルのあたたかな灯りを囲みながら、一人ひとりが一日の気づきを言葉にしていきます。

「言葉にしたくないっす、すごく感じている」「私は、恐れしかないのかもしれないなぁ」

それぞれが口にする言葉は、まるで星のようにバラバラでありながら、
今、確実にここにある “繋がり” を感じ、一つの物語を形づくっていたように感じます。





Day2「ねがいごとを日常に還す」


夜に見上げた星空の余韻を胸に迎えたDay2の朝。
私たちは「この地球で、何をやろうと決めてきたのか」というテーマに挑みました。

それは決して簡単な問いではありません。
けれど、一人ひとりが昨日の気づきや感情を手がかりに、真剣に自分と向き合う時間を過ごしました。
ペンを走らせる姿、言葉を探しながら沈黙する姿は、どれも静かで美しくて。

まるでそれぞれの内側に、一つの星空が広がっているかのようでした。

「恐れから動くのか、愛から動くのか」
「自分が歩む道はどんな価値を生みたいのか」

問いは深まり、各々が進路の迷いや葛藤を感じながらも、
確かに未来へと続く道が見え始めていました。





クロージングセッションでは、一人ひとりが「これからの歩み」について言葉を紡ぎます。
使命や社会とのつながり、他者との関わり方について、さらに探求したいテーマを見つけた人もいました。

「日常に戻っても、この気づきを小さな一歩につなげたい」

そんな前向きな思いを胸に、合宿は幕を閉じました。




参加者の声



★ 私にとって写真が逃げだったことに気がついた
  就活の時にやった気になってた自己分析はベクトルも深さも全く今回とは違うもので、深堀るにつれてどんどん辛くなるのが初めの衝撃でした。
  カメラマンになりたいのになかなか慣れなくて焦っていろいろ始めてると思いこんでた事が実は、
  自分でよく言う「写真しかできない」と”思いたい”気持ちへの感情だったことに気がつきました。
 カメラマンになりたい訳じゃなくて、なにも出来ないからせめてカメラだけはできると思いこみたい気持ちでびっくり!

★ ほかのメンバーが普段関わらない層で話してて刺激があった
  普段関わらない層な上に、今回のように内面や考えてることを長時間共有し合うこともないので、
  自分の確固たる気持ちの上で行動してることに驚きました。

  私は「何かしなきゃ」が先行して気持ちは後付けだったので。
  後付けの理由でも誤魔化しでもない、純粋な気持ちの土台の上に行動がある人とそうではない私の溝がものすごく深くて、
  さらにそれに今まで気が付かなかった自分にも追加で驚き

★ シンプルに、高校時代の経験=トラウマという考えが根強いですが、実際はそうでもなく、
  中学の頃まで浸っていた幻想社会→現実社会に引き戻すためのチャンスでもあったし、
  現実社会という枠組みを教えてくれたものだとして、ポジティブよりな経験だと捉えられると認知できました。

  幼少期の生きているだけで褒められる経験(幻想)が中学まで続いており、
  高校になるとただ生きているだけでは評価されない事実(社会)を教えてくれる機会なのだと思いました。
  その社会の仕組みを教えてくれる機会であったにもかかわらず、気付くことができず今日この頃を生きてきたのだと思いました。

★ 自分の承認以外で感じていたよろこびや感動をさらに紐解き、なぜあの時心が動いたのかを解き明かしたい
  それが他者愛につながる感覚がある。

★ 数日たった今でもややボーッとするような不思議な気持ちです。
  まだ自己分析に足を入れかけようとしてるだけの状態だけど、ちゃんと考えて今度こそ逃げずに人生向き合おうって思えました。
  今まで意思と選択だと思ってたことが逃げに逃げた結果でしかなくて、さらに言い訳して苦しんで、
  人の事指くわえて眺めてる状態だということに気がつけたのがものすごく大きい。