プロフィール
生日 – 2000年04月18日生
出身 – 神戸市
好きなもの – クロワッサン、日本酒
経歴
・兵庫県神戸市で生まれる。
・同志社大学社会学部社会学科入学
・休学期間中、岩手にあるNPO法人SETの日本版フォルケホイスコーレプログラムで共同生活。その後、ケニアで貧困課題のソーシャルビジネスのインターン
・大学4年生、就活をシャットアウトし、町づくり活動とブログビジネス(ダイレクトレスポンスマーケティング)を行う
・現在は、福井の原発で施工管理をしつつ、月2回オンラインでイベントを開催(10月から週1回)
幼少期~高校時代
2000年4月18日、神戸市に生まれる。
幼稚園の時はかなり暴れまくり、幼稚園の先生を困らせていた。
そんな幼稚園時代の将来の夢は「猫になる事」
背景には親がいないと町を自由に歩けないことがあり、その点、猫は自由そうに見え、この夢を持つに至った。
だが、周りとの価値観の違いを感じ、周りに合わせた夢を語るようになる。
その後、小学生の頃は大人しくなり、しばしばいじめられたりすることもあったが、ムードメーカーとしての地位を確立。自由奔放な小学生時代を過ごす
中学になると、偏差値の高い高校に行きたいと思い、勉強を真剣にやるが、勉強が出来なさ過ぎて成績は学年で真ん中くらい。部活もうまくいかず、自分の能力の低さを痛感する。
そんな中で、世の中の動向を見て、総理大臣になりたいと思い、政治に興味を持つ。
その流れで高校に進学。高校では進学系のクラスに入ったため、勉強中心だが、とくに勉強に対する意欲はなく、のほほんとして高校時代を過ごす。
そんな中で、将来やりたいことがコロコロ変わり、模索するようになる。
一方、勉強は上手くいき、最終的に過去問に絞る戦略が功を奏し、ぎりぎりではありつつ、同志社大学社会学部社会学科に進学。
ただし、関関同立は高校まで知らなかったこともあり、学歴的な部分には価値を感じることはなかったが、成功体験がかなり乏しかったので、自己肯定感は少し上がり、未来が明るいと思うようになる。
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大学1年生~大学3年生
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大学に入ると、「星の会」という、一応天体観測には行くがほぼほぼイベサーの空気感のサークルに入る。
先輩からかわいがってもらったこともあり、このサークルにかなりハマり、このサークルのコアなメンバーになるが、あまりプライベートで遊びに誘われなかったことで疎外感を感じる。
それでも、このサークルで積極的に活動していきたいと思い、積極的に活動に参加するが、コロナで活動が制限される。
その後、対面での様々な活動が再開されるも、オンラインの授業が依然として多かったり、特に面白いことがなかったり、アルバイトなどで上手くいかないことが多かったこともあり、無気力になる。この時を「冬の時代」と呼んでいる。
そこから、大学3年生になり、周りに合わせて就活を開始する。
ただ、「常識、マナー、礼儀」の3拍子のイメージと、スーツをびしっと着なければいけなさそうなイメージの強かった大企業には行きたくないと直感的に思い、ベンチャー企業を志望して就活を行う。
そこからさらに進み、企業の利益のために働く文脈の仕事ではなさそうという潜在的な理由から、ソーシャルビジネスを志し、ソーシャルビジネスに絞った就活を行うようになる。
しかし、就活は一向に上手くいかず、焦りを覚える。
一方、大学3年生の夏ごろに、間違えて就活系のサークルに入ってしまい、そこでも意欲的に活動をしていった結果、そのサークルのコアメンに抜擢される。
だが、サークルがかなりグダグダで春ごろには崩壊。
そんな状況だったため、実績やスキルを身に付け、就活を優位に進められるようにしたいと思い、1年間休学し、インターンに行くために休学することを決意する。
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休学時代
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休学を開始したが、行きたいインターンが見つからず、ツイッターでたまたま見つけた共同生活プログラムに興味を持ち、そこに行くことを決意。
そのプログラムは岩手県陸前高田市にあるNPO法人SETが主催するCMCというプログラムで、デンマークのフォルケホイスコーレがコンセプトになっている。
その共同生活は主に対話文化で成り立っており、対話文化を知ると共に、現地で暮らす若者や同じ参加者の若者の価値観を知り、世界観が広がる。
その時は、今までに味わったことのない楽しさや満足感を感じていた。
だが、その生活の最後の方になると、「あんまり人の役に立つことができてないな」と感じ、後半はソーシャルビジネスのインターンに行くことを決意する。
そして、ケニアへ行き、インターンではあまり成果を上げられなかったものの、世界の広さ、人々の偏見のくだらなさ、見た目で差別される経験、逆に、見た目が違っても繋がれる経験などを得ることができ、自分の世界観が広がる。
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大学4年生(就活鎖国期)
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休学期間、かなり良い経験ができ、人生に対する考え方が少し変わった実感があったものの、結局やりたいことがみつからず、気付けば就職活動をシャットアウト。
一方で、財政面がかなり悪化し、キャッシュフローがかなり弱く、一向に景気が良くならない「失われたN年」に突入する。
その結果、稼げる仕組みを手に入れるために、偶然出会ったブログビジネスを教えてくれる団体に入り、DRM(ダイレクトレスポンスマーケティング)方式のブログビジネスを実践する。
それと並行して、CMCで出会った仲間に誘われ、陸前高田市で町づくり活動を開始。
この町づくり活動は、活動や仲間にまっすぐに向き合えるものだったため、かなりドはまりし、積極的に活動するようになる。
このように、社会人文化や社会人思想をシャットアウトし、自分の独自の思想・価値観のままに成長することを目指していた状態が、キリスト教やそれに付随する弊害をシャットアウトし、日本の独自の文化のまま独自に国を発展させようとしていた江戸時代の鎖国に似ていると思い、この時期を「就活鎖国期」と呼んでいる。
この頃は、ひたすらバイト、ブログ、町づくり、卒論執筆を繰り返し、かなり忙しい時期であった。
このような状態が約8か月続いた頃、さすがに今の体制を維持できないと思い、ワーホリなどで海外に高飛びし、大金を得つつ日本の社会人界隈の思想に影響されない環境に身を置こうと考え、ワーホリへ行くことを模索する。
しかし、それでは就活から逃げているだけなのでは?と感じ、ソーシャルビジネス方面で就職活動を再開。
それとほぼ同時期に、自己理念というものに出会い、徐々にその価値を理解していき、自己理念を考えることに集中していくようになる。
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現在
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今まで自分が違和感を覚えたり、避けたりしてきたものが「社会に出る」という世界観や「社会人」という概念であったことに気付く。そうではなく、まるで休学時代のように、世の中のストーリーに乗っからずに、社会人などと呼ばれずに生きていくことが自分の理想だということが言語化され、そこからさらに深掘ると、「人生を職種、業種、業界などで考える」のではなく、もっと本質的な「生き方」で人生を考えるべきだということに気付く。
そこからは、会社員としてキャッシュは得つつも、週末はイベンターとして毎週オンラインで「生き方」をテーマにしたダイアログイベントを開催している。